記録地 ― Loci ― 作品について
この作品について
「記録地 ― Loci」は、世界の神話そのものが地球儀の上に見える作品である。地図に置かれた朱印は、神々の住所ではない——それぞれの伝承が実際に記録され、祭祀され、書き写された実在の場所、すなわち記録地である。写本が書かれた修道院、粘土板が出土した都市、語りが録音された村、いまも祭が営まれる社。
英題の Loci には、記憶術でいう「場所法(method of loci)」の静かな二重の読みがある——人類は語りを場所に結びつけて記憶してきた。この地球儀は、その結び目の地図である。
地図の編集原理
点は記録地であって、信仰の領域ではない。本作は伝統圏を領域の塗り分けで示さず、国境・民族境界を描かない。ある文化の「広がり」を面で主張することは、この作品の方法ではない。
伝統圏という単位は暫定的な編集単位である。「日本」「ギリシア」の内部にも異本・地域差・時代層があり、各プロファイルはその複数性を消さないように書かれている。
植民地期の記録に依存する圏では、記録の成立事情——誰の命令で、誰のために、何年に採録されたか——を一級の情報として本文に併記する。記録それ自体が歴史の産物である。
層の構造
作品の本体は基層——各伝統圏のプロファイルである。どんな物語群が、どの資料に、いつ・どこで記録されたか。その上に、比較の問いを当てるレンズが載る。第1のレンズは太陽、第2のレンズは月であり、いずれも作品の主題ではなく、あくまで一つの問いである。将来のレンズ候補には死者の国・洪水などがある。
レンズは基層の全圏を覆わない。覆われていない圏は欠陥ではなく、「まだ問うていない」ことの記録である。
収載の範囲
現在の基層は23の伝統圏を収載する。加えて1圏——オーストラリア先住民の伝承——を、資料の不足ではなく、伝承の管理者(custodian)の明示的な要請に従って収載していない。その理由は本作の一級のテキストとして、当該圏のパネルに全文が置かれている。地図上のオーストラリアに置かれた点は、物語の在り処ではなく、記録と管理の場である。
収載可否は三つの分岐で判断している。管理者が公開を明示的に断っている場合は収載しない。語り手自身が記録と公刊を求めた場合は収載する。公開の口演芸能として共同体の合意があるものは収載する。
資料の扱い
本文はすべて、検証済みの資料から独自に書き起こした文章である。引用は引用であることが分かる記法でのみ行い、それ以外は自分の言葉で要約した上で参照を示す。
各パネルの「参考資料」には、制作の過程で実際に参照・確認した資料のみを挙げる。「日本語の読書案内」は日本語で読める文献への導線であり、本作の典拠ではない(書誌の実在は確認済み)。
主要な主張には認識論的な強さのラベルを付す——資料上明瞭/有力な解釈/有力だが論争的/仮説的比較/後代的・受容史的。すべての調査結果は、独立の検証パス(懐疑役による監査)を通過したものだけを用いている。監査で退けられた主張・確認できなかった書誌は、本文に載せていない。
方法——似ている理由は一義に決まらない
遠く離れた場所に似た話が現れるとき、その理由は少なくとも4通りある——伝播、共通の祖形、独立の発生、そして偶然。本作はどの類似についても、資料が許す以上に理由を決めない。決められないことを決めないまま示すことが、この作品の学術的誠実さの核である。
また、元型・単一神話・「世界共通の神話パターン」といった語彙は用いない。比較は問いの共有であって、答えの統一ではない。
帰属と注意書き
海岸線データは Natural Earth(パブリックドメイン)に基づく。座標は OpenStreetMap(© OpenStreetMap contributors, ODbL)ほかの地名サービスおよび学術ガゼッティアで照合した。地球儀・投影・描画はすべて自前実装である。
本作は個人制作の美術作品であり、学術出版物ではない。正確さに最大限努めているが、誤りを見つけた場合は制作者までお知らせいただきたい。現存する信仰・実践への評価を含意する意図はどこにもない。